世界で活躍した元Jリーガーのベトナムでの新たな挑戦。「スポーツを通して、日本の教育をベトナム、そして世界へと広める」ー井上寛太

ハノイの声

世界で戦う男・井上寛太

こんにちは。

インタビュー記事は、毎回面白いと反響いただいていますが、決して僕の力じゃないんですよね。

単純にインタビューを受けてくれる方々が面白いんですよ。

そして、今回もいつも通り、かなり面白い方がインタビューに答えてくれました。

なんと、元Jリーガーでヨーロッパの複数のクラブを転々としてプレーし、最近現役を引退した方です!

引退後、ベトナムへ来て新しい挑戦をしているのです!

 

そんな彼のワクワクするストーリーと、これからの未来や想いをたっぷりとお届けします。

ぜひ、心を熱くしてご覧ください!

サッカーと共に生きてきた人生

たいき
今日はお忙しい中、インタビューをお受けいただき、ありがとうございます!

想像以上に男前でびっくりしてます。今日もかなり面白い話が聞けると、楽しみにしています。

それでは、宜しくお願いします!

寛太
いえいえ、こちらこそありがとうございます!

宜しくお願いします!

たいき
それでは早速ですが、まずは簡単に自己紹介からお願いします!
寛太
はい。

僕は1991年生まれの27歳で、京都府出身です。幼稚園の頃からサッカーを始めて、ずっとサッカーをしてきました。

26歳で現役を引退し、その後ベトナムにやって来ました。

今はハノイに住んで、サッカーなどのスポーツを通した教育事業、スポーツ事業を展開しております。

たいき
おお〜、すごい。。。

まさに、サッカー漬けの人生ですね!

元Jリーガーと聞いたのですが、その噂は本当ですか?

寛太
まあ、そうですね!笑

高校生までは京都サンガFCのアカデミーでずっとプレーしていました。

その後、立命館大学へ行ったんですが、一年も経たずに中退してプロへ行きました。

それで入団したチームが ”AC長野パルセイロ” です。

京都サンガのアカデミー時代の様子

Jリーグからヨーロッパへと活躍の舞台を移す

たいき
すごい。

ホンモノのJリーガーですね。笑

しかも、大学をやめてプロに入ってしまうってのがかっこいいです。

それで、その後はしばらく ”AC長野パルセイロ” でプレーをし続けたんですか?

寛太
いや、実はすぐに自主退団して、単身でヨーロッパへ行ったんですよ。

昔からヨーロッパでプレーしたかったので。

それで、代理人を雇ってトライアウトを受けたんですが、なんとその代理人に騙されて逃げられたんですよ!

全く知らない土地のスロベニアで一人になってしまいました。

しかも、お金はその代理人が持って逃げたので、一文無しになってしまいました。

 

日本側では僕が自主退団してヨーロッパへ単身飛んだことはニュースにもなっているし、そのまま帰るわけにも行かなかったので、自分でなんとかしようと決心しました。

たいき
自主退団して、単身ヨーロッパに飛ぶ行動力半端ないですね!

そして、代理人に騙されて一人になってしまうというえげつない悲劇。笑

普通の人やったら、そこで嫌になって日本に帰っちゃいますよね。

寛太さんは、なんとかしようと決心した結果、どうなったんですか?

寛太
10人部屋などのホステルに泊まりながら、インターネットを使ってチームを探しては飛び込みで練習参加。というパターンを繰り返し、飛び込み営業を行っておりました。

そうしたら、僕を ”面白い” と評価してくれるチームがあって、運良く契約してもらえたのです。

これで、なんとか無事に僕のヨーロッパでのキャリアがスロベニアで始まりました。最初は月給3万円とかでしたけどね。笑

スロベニアのチームでの記者会見の様子

ヨーロッパでサッカーに明け暮れる日々

たいき
いやあ、もうほんまに純粋にすごいです。

サバイバル能力が半端ないですね。

何より、飛び込みで入団を許可させてしまう実力があったから出来たことですよね。

その後は、他のヨーロッパの国へも行ってプレーしたんですか?

寛太
はい、合計で8カ国でプレーしました。全て違うチームです。

国は、順番にスロベニア、クロアチア、オーストリア、セルビア、ボスニアヘルツコビナ、イタリア、ドイツ、スコットランドですね。

段々と、待遇やチームのレベルも上がっていきました。

たいき
どんどん、自分の実力で上へ上へと這い上がっていったわけですね。その中で、難しかったことは何ですか?
寛太
基本的には英語でやりとりをしていたんですが、やっぱり言葉が通じにくいからこその難しさはありました。

監督の細かい指示やチームメイトとの連携なんかも、言葉の壁があり、苦労しました。

たいき
それは、大変ですよね。

監督の指示が分からなかったらプレーできないですもんね。

それでは、寛太さんがプレーした中で、一番好きだった国はどこですか?

寛太
サッカーでいうとドイツが好きでした。

サッカー大国ですから。

リーグも1部から12部までありますし、Jリーグのような外国人枠もありません。

だから、世界中から集まった選手が平等にプレーするので、競争がかなり激しいんですよね。

そして、それぞれの地域にサッカーが根付いている事も魅力的です。

小さな町でも毎週8万人の観客が応援に駆けつけてくれますし、週末には家族でサッカーを観に行くことが多い文化になっています。

そんな環境の中でプレー出来ていた事は幸せでしたね。

ちなみに、エージェントの勉強もしたかったので、ずっと代理人をつけずに全て自分でやりとりしていました。

ヨーロッパでのプレーの様子

たいき
やっぱり、ドイツでサッカーするのは楽しいんですね。

ドイツといえば、めちゃくちゃサッカーが盛んで、しかもかなり強い国ですもんね。

サッカー素人の僕でも知ってるくらいです。

それで、スコットランドのチームを最後に引退したんですか?

寛太
最後は、元日本代表の中村俊輔選手も所属していたセルディックというチームのキャンプまではいったんですが、契約はできませんでした。

J2やJ3からのオファーもあったんですが、今以上の場所でプレーできないならやめたほうが良いと思ったので、きっぱりとやめることにしたんです。

また、ずっとサッカーを続け年齢を重ねてから引退した時に、セカンドキャリアが難しいと思ったというのもありますね。

この引退した当時は26歳でした。

世界の井上はついにベトナムへ上陸

たいき
その潔さがまたカッコいいですね。

でも、今までずっとヨーロッパで活躍していた寛太さんが、何が起こってベトナムに来ることになったんですか。

正直、そこめっちゃ気になります。

寛太
実は、Jリーグ時代の知り合いで、今まではJリーグのスポンサーをされていて、自分で新しくクラブを作りたいとの意思もあるような方がいました。

その方に、海外でも何かやりたいと相談を受けていたんです。それでベトナムで一緒にサッカーの事業を始めることになりました

たいき
どこから縁が繋がってきて新しい仕事が始まるかというのは、本当に分からないもんですね。

ちなみに海外で事業をしようという話から、なぜベトナムでやることにしたんですか?

寛太
それは2つ理由があります。

1つは、その会社の支社がダナンにあったからです。

その会社の名義を使えばベトナムでのスタートアップはやりやすい。と考えました。

もう1つは、やはりベトナムという国の若さと未来ですね。

ベトナムには若い世代が多くて、これから絶対にサッカーが強くなります。

高度経済成長期でもありますし。

だから、ベトナムでやろうと決めたわけです。

そして、今もその人と共同で事業を行なっています。

ベトナムで新しい事業に挑戦する日々

たいき
なるほど、やはりベトナムの若さとこれからの未来に惹きつけられたわけですね。

それで、 ベトナムで事業を始めたということですが、具体的にどんな事業を始められたんですか?

寛太
メインはスポーツアカデミーの経営で、スポーツを通じて日本の教育を世界に届ける事が私達のコンセプトです。

まずはじめは、サッカースクールの運営を始めました。

その後、空手スクールやフィットネススクールも始めて、スポーツを通して教育することを軸に事業を展開しています。

今後は他のスポーツスクールなども展開して行く予定です。

 

そして、一番の目標はより多くの子供に日本レベルの教育を提供する事ですね。

そのためにはいろんなスポーツのスクールがあったほうが受け皿が多いと思っています。

まだ公表は出来ませんが、他事業の展開も決まってきております。

 

また、インターナショナルスクールの体育授業を委託したりもしております。

ベトナムの小中学校は体育の授業が少ないですからね。

他にも、ハノイでスポーツの大会を開催したり、JリーグチームがハノイでCSR活動を行う際のサポートなんかもしています。

たいき
いろんなスポーツのスクールがあって、面白いですね!

そして、それが一つの芯の通ったビジョンに沿って展開しているのがいいですね。

ちなみに、今は何人くらいの生徒が集まっているんですか?

寛太
今は、200人くらいの生徒がいます。

ただ、現在は日本人がほとんどです。

僕の目標としては、ベトナム人をほとんどにしたいんですよね。

そのために、今ベトナム市場のマーケティングなどを頑張っています。

でも、サッカークラブはヨーロッパのスクールなども入ってきているので、なかなか。

そこで、日本発祥のスポーツである空手も取り入れました

2020年の東京オリンピックから正式種目になることの影響もあって、空手の人気も結構あるんです。

たいき
サッカースクールってそんなに多いんですね。

やっぱり、競合が多いレッドオーシャンは大変ですよね。

そこで、空手なわけですね。

確かに空手はハノイでも結構人気が上昇しているイメージです。

前に、ハノイ大学でも子供向けの空手の教室をやっているのを、よく見かけましたよ。

ちなみに、今の仕事は楽しいですか?

寛太
今の仕事は楽しんですが、実は本当にやりたいことは別にあったりもするんですよね。

プロの選手の育成や、プロクラブの監督なんかは、やっぱり将来的にやりたいことではありますね。

今のサッカークラブは、富裕層のベトナム人が日本教育を子供に受けさせるために通わさせられている子などが多いんです。

教育メインという感じですかね。

たいき
そうなんですね。

やっぱり、スポーツプレイヤーだと、将来的には後進の育成や、監督の仕事をしたいと思いますよね。

僕もかつては野球をしていて、大人になったら野球の監督になりたいなんて思ってました。

それでは、逆に今の仕事で困ることは何ですか?

寛太
人事ですね。。

特にベトナム人スタッフの育成が大変です。

彼らは子供の頃からずっとベトナム文化で育ってきておりますので、日本教育としての考え方に変えてもらう事が非常に難しい。。

私達は、日本教育を子供に教える事がコンセプトなので。

だから、まず彼らにそれを理解してもらうのが大変です。

その部分を浸透させていかないと、ベトナム人マーケットは取れないので、そこを徹底していくのがこれからの課題ですね。

井上寛太のこれから

たいき
やはり、社内の教育というのは、どこの会社でも課題になる部分なんですね。

それでは、寛太さんのスポーツアカデミーのこれからの目標はなんですか?

寛太
まずベトナムで一番大きいスポーツアカデミーに成長させる事です。

初めてベトナムに来たときに、この国は教育がすごい遅れていると感じたんですね。

レストランでうるさい子供たちや、平気でゴミをポイ捨てする人たち。

それを見て注意をしない親達。

これって、日本ではあり得ないことじゃないですか。

世界の中でも日本は教育が進んでいると思いますが、ベトナム人にも少しワールドスタンダードな考え方を持ってもらえるようにアプローチ出来たらなと思います。

その教育をする為のツールとして、いろんなスポーツを通して教えられたらベストだと思っています。

うちの教育を受けた子供たちが、将来のベトナム経済を引っ張って行ってほしいと思っています。

たいき
日本の教育水準は、世界を飛び回った寛太さんにとっても、やはり高いと感じるんですね。

確かに、そういった世界で当たり前とされていることを当たり前にできるようになるのは、これから世界で戦って行くベトナムにとっては必要なことなのかもしれませんね。

ちなみに、ベトナム以外の国に事業を広げていくつもりはあるんですか?

寛太
そうですね、今後はアジア全体に広げていきたいと思っています。

インドネシアもこの前視察してきましたが、マーケットとしては最適でしたね。

毎年500万人近くの子供が生まれているし、これからどんどん成長していく国ですね。

たいき
そうやって、アジア全体にスポーツを通して自然と高い教育水準が広まっていけばいいですよね。

それでは、寛太さん個人としてのこれからの夢はなんですか?

寛太
僕は旅行が好きなので、将来的にいろんな場所を旅したいと思っています。

だから、世界中に拠点を作って回れるようになったらベストですよね。

南米でも日本の教育は注目されているから、南米もチャンスだと思っていますね。

日本の小学校の掃除の時間や、協調性は高い評価を受けているんですよ。

 

また、いろんな人との出会いを僕は大切にしています。

いろんな人と会って話すことで、吸収できることがたくさんあり、自分の価値観も変わります。

もちろん、今後サッカーの指導者をしたい気持ちはあるけど、今はスポーツアカデミーの運営が一番やりたいことですね。

たいき
将来、寛太さんが世界中の自分のスクールを回って、世界中の子供たちにサッカーを教えて回る

想像するだけで、めっちゃ素敵で楽しそうですね。

井上寛太にとってのベトナム

たいき
それでは、寛太さんのベトナムの好きなところはどこですか?
寛太
考え方が楽観的なところ。みんなやりたい事を自由にしている事ですね。

日本人みたいな人の目を気にする事があまりないですね。良い意味でも悪い意味でも笑。

そして、ベトナム人が親日なところもよく感じていますし、住みやすいですね。

また国民がサッカー大好きですし、子供から大人までみんながサッカーをしているのが、すごく楽しいですね。

たいき
ベトナムは国技がサッカーですもんね。

それは寛太さんにとって、ぴったりですよね!!

最後に、寛太さんから日本の若者へ何かメッセージをお願いします!

寛太
早いうちに海外を見ろ!と言いたいです。

なぜ海外なのかというと、日本にずっといたら日本の素晴らしさはなかなか気付けないです。

私は今まで、東欧やアジアを渡り歩いてきました。

経済、人の良さ、仲間意識、協調性。日本は素晴らしい国だと改めて感じています。

 

他の世界を見たら、価値観も変わるし、それに伴う行動も変わります。

行動が変われば、話す人も変わるし、自分のいるポジションも変わる。

全てが変わります。

 

そして、やりたいと思っている事があるならば、すぐに行動して下さい。

実際に行動して、自分の目で確かめる事ってめっちゃ大事です!

もし、周りに遅れることになっても、やりたいことには投資した方がいい

それは、お金だけじゃなくて時間の投資も。

若いうちに自分の見える世界を広げて欲しいなと思います。

 

日本は島国な事で、海外に行く事にハードルがあることもあり、結構特殊な国なんですよ。

他の考え方を受け入れられない人が多いけど、色んな世界があることを知って欲しいですね。

それらを色々と知って、しっかりと自分の中に落とし込んだ上で、やりたいことに取り組めば良いと思うんです。

 

別に海外で何かしろ。と言ってるわけではなくて、行動する事、色んな事を見る事で、可能性が広がるよ。という事です。

自分は20歳で海外へ行ったけど、遅かったなと思っています。もっとはやく15〜16で行けばよかったと後悔しています。


たいき
すごい刺激的な言葉をありがとうございます!!

本当に、はやく海外に行けば行くほど良いですよね。

日本の若者には、中学生でも高校生でも、どんどん海外に出て行ってほしいですね。

それでは、たっぷりとお話いただきありがとうございました!!


いやあ、今回もほんまに楽しいインタビューでした。

寛太さんが経営する「Lowen vietnam」の詳細に関しては以下のページをご覧ください!

今スポーツに本気で取り組んでいる人、海外に出たい気持ちはあるけど出れていない人、漠然と毎日を過ごしている人、いろんな人に対してすごく勇気がでる話だったんじゃないかなって思います。

海外に出ることで、日本の素晴らしさに気づくこともでき、自分自身や見える世界など全てが変わり、可能性は大きく広がる

僕自身、これは強烈に感じています。

ほんまに日本の若者にはどんどん世界に飛び出してほしいです。

海外を知った上で日本で仕事すればいいと思うんです。

 

日本は世界最強のパスポートを持ってるんですよ。

190カ国以上の国にビザなしでいけます。

日本人ってだけで、ビザをとるのだってかなり楽です。

日本人に生まれただけで、いろんな挑戦をするチャンスがあるのだから、それを最大限生かしてほしいです!

 

次回は、そろそろベトナム人をインタビューしよっかなって企んでます。

次回もお楽しみに。。。

 

んじゃ、今日はこの辺で。

またね〜