自分の心を言語化することに対する疑問
そもそも、僕は詩を好きになるような人間ではありませんでした。
小中高と授業で詩を習うことはあっても、別になにが良いのかわからんかったし、正直どうでもよかったです。
そんな感じで、20歳まで生きてきました。
しかし、20歳になり、就活とかのせいで自分の考えや想いを探り始めました。はじめは、まあそれこそ、それっぽいこととかは思いつくんですよ。
(もともと休学するつもりだったから、就活はしなくてもよかったんですが、夏季インターンとかに興味はあったし、おもしろそうだったので、やってました。)
でも、どれもしっくりこない。「これは自分がやりたいことっぽく書いてるけど、結局違うな」とか、「この考えだとすれば、自分の将来進もうとしてる道は考えにあってる。でも、この考えが本当の僕の考えじゃない気がするんだよな」とか。
挙げ句の果てに、就活支援団体の奴らは「言語化しなあかん」とかそんなことばっか言ってくるし、結局はうまい言葉で考えを綺麗に見えるように誘導してるだけ。
そして、企業の奴らも、そうやってなんかうまい言葉でまとまった考えを聞いて、判断してる。
でも、それは本当の自分たちの考えか?
みんな、自分が本当にやりたいこと、大事なことを言葉にできているのか?
結局は話すのがうまいやつ、上昇志向があるように見せたやつ、なんかちょっとすごいことをやってきたやつ、自分ができるやつかのように見せたやつが評価されるだけ。
まあ、別にそれはどうでもいいんですが。結局そうやってしか評価できない企業がまぬけなだけやし。
でも、僕はこの雰囲気がすごく嫌でした。

インターンにいけば、周りはだいたい同じような事言ってる奴ら。頭の回転が早いやつとかは当然いるけど、結局やってることは一緒。
企業も同じようなことしか言わない。
そして、このインターンには優秀な人間が集まってますとか、ぬかしよる。
なにが、優秀なのかは知らないけど、僕からしたらすごくおもんなかった。面白い人間が全然いなかった。
多分、面白くないと感じたのは、彼らが誰も本心を出していないと感じたから。みんなが、何か偽りの優秀に見える自分を演じている。
本当の心が見えないんです。だから、おもんない。
多分、その人たちは他の場所で会ったらすごく魅力的な人間だと思います。でも、就活で、インターンで会ってしまうから、本当の彼らに会えなかったんです。
そして、一番辛いと感じたのは、自分も結局そのつまらない人間の中の1人だなと感じたこと。結局、周りの人間とやってることも考えてることも同じだった。
くそみたいな有象無象の1人。
つまらんなあ。
結局、自分に嘘ついてるのがダメなんだよ。自分の本当の気持ちを、それっぽい言葉で偽る。そして、それを面接やインターン、周りの人に聞かれるたびに話す。
そのせいで、自分はあたかもその偽りの言葉でつくられた考えを持ってるかのように感じてくる。
ああ、無理やり言語化したのが間違いだったな。なんで、そんなに言語化にこだわるんだろう?そうやって言葉にすることで、大切な気持ちが陳腐化されてるんじゃない?
そして、つまらない人間になっていくんじゃない?
でも、僕にはうまく言葉にはできないけど、確実に自分の心に持ってる揺らがない大切なものはあるんです。それはひしひしと感じている。
みんなもきっとあるはず。
僕はそれを大事にしたい。その、言語化できないけど、人間の最も中心にある大切な核を大事にして生きていきたい。
そして、うまく取り繕った言葉で自分を偽りたくない。
そう考え始めた時に、自分の心を言葉以外で表現するということを思い出したのです。
芸術。

音楽や、絵で心を表現するって素晴らしいじゃないか。
そう思って、音楽や絵を鑑賞してみると、すごく感動した。今まで何とも思わなかった芸術が、作者の心を表現してると思い、そこに想いを巡らせると、急にすごく感動するものになったのです。
その作品に心を感じるほど良い。
僕と詩の出会い
こんな話を、僕は尊敬する大先輩と話す機会が会った時に、ぶつけてみました。
そしたら、
「今のお前にぴったりな本があるよ。詩の本やけど。詩に対する考え方が変わると思う。難しいやろうし、理解できない詩も多いと思う。でも、きっと人生の友になる詩に会えるんちゃうかな。」
おお、すげえ。めっちゃ読みたい、と思いました
本当に、まさにそれは今の僕に必要な本だったと思います。そして、最高の本であったと今でも思います。
だから、その話を聞いた後、もはや聞きながら、Amazonでワンクリック購入を済ませていました。
今でこそ言えるけど、詩は言葉だけど言葉じゃない。少なくとも、就活とか普段の生活で使うような言葉じゃない。
詩は脳みそじゃなくて、心で読むものです。そして、心で書かれているものです。
心を純粋に表現した芸術なのです。
昔から、本とかが好きで、言葉は好きだった僕は、その心の芸術である詩の世界に飛び込むのが楽しみでした。
そして、読み始めました。
数々の詩とぶつかり始める
そこには、数々の詩が書かれていました。

だいたいは読んでもすぐには理解できない。なんども読んで、少しづつわかってくる。そして、本の作者の解説を読んで、なるほどそう読み解くのか、と思う。もちろん、解説を読んでも理解できない詩もある。そして、納得できない詩もある。
別になんとも思わない詩も多くありました。
でも、そのうちのいくつかは読んだ瞬間にビビッとくるものがあります。
その中に、「おゝ常に生きつつ、常に死につつ」はあったのかもしれません。
ウォルト・ホイットマンの詩です。
この詩は有名なんでしょうか?それは知りません。気になってネットで調べてみたけど、全然出てきませんでした。
でも、僕はこの詩を初めて読んだ時、なにかすごい既視感を感じました。
なんか、初めて見た気がしない。前にも読んだことがある気がしたのです。でも、もちろん読んでみると知らないことは明らかなんですけどね。
でも、そんな感じで運命の出会いを果たしたかのようだったんですが、僕はすぐには、この詩が最高だとは感じなかったです。
まあ、いいんちゃうこれって感じ。
詩が人生の友になった瞬間
でも、この詩のフレーズはずっと忘れられなかったんですね。
そして、この詩を初めて読んだ時からしばらくたち、いろいろなことがありました。2ヶ月くらいの期間だとは思うんですが、本当に様々な経験をしたと思います。
そして、そのフレーズが忘れられなかったから、改めて読んでみました。
すると、「おぉ、この詩はすごい。美しい。」と感じたのです。
でも、これはアメリカ人の詩なので、原文は英語の詩です。
初めは日本語で読んでました。改めて読んだ時も日本語で。
めっちゃいいとは思ったんですが、この時点ではまだ最高にしっくりはきていませんでした。
そこで、英語の原文の詩もちゃんと読みたくなりました。
早速、読んでいきました。
その瞬間、ぶぁあああああってきました。
熱い!!
詩人の魂、心の想いをダイレクトに感じたのです。
なんて美しい詩なんだ。そして、今の自分の状況に最高に合っていたのです。
多分、この詩を2ヶ月前に英文で読んでいてもなにも感じなかったでしょう。
今、読んだから心を感じたのです。
そして、この詩は僕に強く生きる勇気を与えてくれる、人生の友となる詩になったのです。

そういえば、先輩はこうも言ってました。
「分からない詩もあると思うけど、後から読んでみるとそれが最高にしっくりくることがあるねん。だから詩は面白い。自分の経験や状況によって、最高の詩は変わると思うよ。」
まさに、そうなんですよ。
この2ヶ月の経験があったからこそ、この詩は僕の心と共振する最高の詩になったのです。
それでは、せっかくなのでそんな僕の人生の友となった詩を紹介します。
人生の友となった詩
「おゝ常に生きつつ、常に死につつ」
おゝ常に生きつつ、常に死につつ!
おゝ過去と現在を葬り去る我よ、
おゝ現身を、誇らしくもある、
常なる闊歩の隨に葬り去る我よ、
おゝ幾星屑も、我でありしものが逝き、
悲しくもなく満足げに葬り去る我よ、
おゝそれらの屍から我を解き放つために、
その捨つる所を振り返りつつ我は眺むる、
前進せよ、おゝ生きつつ!常に生きつつ!
我が屍を過去に逝かしめ。
“O Living Always, Always Dying”
O living always, always dying!
O the burials of me, past and present.
O me, while I stride ahead, material, visible, imperious as ever;
O me, what I was for years, now dead, (I lament not, I am content;)
O to disengage myself from those corpses of me, which I turn and look at where I cast them!,
To pass on, (O living! always living!) and leave the corpses behind.
うん、やはり何度読んでも英語の原文が素晴らしいです。
その言葉遣いといい、表現の仕方といい。魂を、心を感じる。
やはり、作者の魂は原文じゃないと感じられませんね。どうしても、訳文だと、訳者の解釈が入ってしまうので。
ここから、僕の解釈です。
まず初めのフレーズがたまらないです。
常に生きながら、常に死んでるのです。
つまり生きることは、常に死に続けることなのです。
過去と現在までの自分は死んでいくのです。そして、未来を生きていく。
誇りも、現存するものもすべて葬り去って。
今まで培ってきた自分であったものも、全て亡くなるのです。悲しかったことだけでなく、楽しかったこと、喜びもすべて。しかし、それを悲しむのではなく、満足をしている。
しかし、それらを葬り去るが、忘れはしない。しっかりと振り返りつつ突き進むのです。
ここで、O living! always living!とくる。そう、生きるとはこういうことだ、と言いたいのです。これこそ、常に生きているということなのです!
そして、改めて自らを捨てて逝くと繰り返すのです。
この詩は、本当に今の僕に共振しています。強く、生きる勇気をもらいました。
常に死にながら、常に生きていくのです。

ああ、素晴らしい。最高の生き方じゃありませんか。
これからも詩を読み続けたい
どうでしょうか?
詩って素晴らしくないですか?
心を表現することを知り、魂の叫びを知ることができます。
そして、そういった詩を人生の友として、一緒に生きていくことができるのです。
つまり、作者の魂と一緒に生きていけるのです。
僕は、詩がこんなに素晴らしいものだと知らなかったです。
だからこそ、これを教えてくれた先輩には感謝感謝です。
そして、自分の想いと共振する詩、一緒に生きたいと思う詩に出会えた時の幸福感はなんとも言えません。ぜひ、皆さんには詩を読んで欲しいです。
そして、あなただけの友となる詩を見つけてください。
僕は、これからも、さらなる友を探して、そして自分の心、魂の叫びを知るために、詩を読んでいきます。
いつか僕も自分の心を詩として、魂の言葉で表現できるようになりたいなあ、なんて思ったりもしてます。
そして、偽りのない本当の自分で生きていく。心と魂の叫びにのみ従うのです。
ちなみに僕が詩にハマったきっかけであり、最高の詩に出会うことができた本はこれです。
少し高いですが、正直この値段以上に大きな価値があると思います。
だって、人生の価値観・考え方が変えられるような本なんですから。安いくらいですよ。
ぜひ、買って読んでみてください。僕はベトナムにもずっと持って来てます。
まさに人生のお供のような本になりますよ!!
以上、長くなりましたが、僕と詩の話でした。
詩を人生の友としましょう!!
それでは、今日はこの辺で。
O Living Always, Always Dying!